先週土曜に鵜飼を鑑賞する機会を得ました。岐阜市の「ぎふ鵜飼」ではなく、関市の「小瀬鵜飼」です。一昨年から毎年挑戦していたのですが、二度とも川の増水で鵜飼舟が出ず、涙を呑んで料理屋さんの座敷で鮎料理をいただくだけでした。今度は三度目の正直と気合を入れて行きました。最近はゲリラ豪雨とかいうものがあり、上流で前の晩にでもザァーッと降ったら確実に増水します。そのようなことの無いように祈りながら向かいました。今年も鵜匠の家と名の付く鮎料理のお店に到着。女将さんに「今日舟は出ますか」と尋ねると「上で降っていなけりゃ、大丈夫と思いますよ」との返事。これは運を天に任せることにして、先ずいろいろな形で美味しく料理された鮎とお酒をいただきながら暗くなるのを待ちます。
そうしていたら「さあ、舟に向かいましょう」との声。「これで鵜飼に行ける!」と一安心。結構大きな石が転がる川原を歩いて舟に乗り込みます。最初に鵜匠の方から歴史や鵜のことなど説明を聴きます。暫くすると上流から篝火を舳先に付けた鵜匠の舟が来ます。その舟に寄り添うような形で観るのは岐阜の鵜飼と同じですが、この日は三日月でさほど明るさはなく、周りに灯りのない漆黒と言ってもいい闇の中、篝火だけに照らされる鵜と鵜が奏でる水の音。これは鵜飼見物という言い回しは相応しくないと感じたので書き出しは鵜飼鑑賞にしました。
「おもしろうて やがて悲しき 鵜舟哉」という芭蕉の句があります。これは日本古典文学研究者の深沢眞二氏の解説によると、謡曲「鵜飼」に出てくる、ある禁漁区で漁をしたため川に沈められた鵜匠の亡霊が、鵜を操り、漁がすむと篝火も消え、あの世に帰る自分の名残惜しい悲しい思いで去っていくあたりを取り込んだのではと言われます。芭蕉は様々なものを自分の句に織り込んで、中に込められた感情を表現しているというやはり凄い俳人だったのですね。
私自身も時々話をさせていただく機会を得ますが、平素から様々な、本当に様々なことを感じられる研ぎ澄まされた感性と、スッと受け入れられる平らな心を持つように心掛けることは、より自分を豊かにし、話にも厚みが出ることに繋がるのかも知れません。今回の岐阜関の鵜飼は三年目でやっと叶えられた甲斐あって、大切なことを教わった気がします。このような素敵な思いは忘れないうちに美味しい料理と飲み物で自分の身体の中に仕舞って、細胞の一つにしてしまいましょう。
「アンタ、今日はなんか感じがちゃうで。何としたんや?」
「ウン、こないだ鵜飼いったやろ。何とも言えやん感じになってな。」
「アンタもええ歳やでな。そういうこと感じるのもたまにはええわな。」
「せやから、ちょっと静かに呑もかなと思うんや」
「なんや、結局呑むんかいな。呑んで酔うたらいつもと一緒や。アホらし、うちも呑もやっと。」
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