毎年受けている胃と大腸の内視鏡検査を先日受けました。今回は昨年の暮れくらいから大腸の状態が気になっていての検査でした。実はこの検査、人間年一度くらい、胃と腸の中、お腹全部を一度に空っぽにするのもよいのではと、50歳到達記念で始めたものです。今回で22回目になります。さあ検査に向かいます。これから数時間がシンドイのです。昨晩1回目を飲んだ下剤に続き、これから2回目が始まります。コップの下剤を10分おきくらいに1杯ずつ飲んでいくのです。冷えてもいないし、全くまったく美味しくない液体。そして当然飲めば効いてきますから・・・。この時間は何度検査しても嫌なものです。これからが実際の検査開始です。先ずは大腸内視鏡から。自分自身もモニター画面に見入りました。終了して先生の所見は全く異常なしです。今回大腸に違和感を感じての検査だったのでホッとしました。少し休んで今度は胃の検査です。これもお陰で異常なし。胃も腸も異常なしで、消化器系は安泰でした。また1年美味しいものを食べたり、飲んだり出来ます。
毎回検査前には何かしら不安を持って向かいます。不安の種類や大きさは時々で変わります。その不安を持った者をいつもと同じように迎え入れ、迎え入れた時からその人の不安がだんだん減っていく。特に病院や医院、特に「町医者」と呼ばれるところには医術は勿論、地域の人たちの精神的な拠り所となる役割を果たしていることは大きな意味だと思います。町医者へ行かれたお年寄りが「先生の顔見たら、気持ち悪いの治ったわ」というような話をよく聞きますが、精神的な拠り所を意味する言葉でしょう。ただしそこには必要な条件があります。最も重要なのは人が代わらないことです。先生は当然ですが、先生を支える人たちの顔ぶれも同じです。医療機関と患者ですから、その立ち位置をわきまえないといけませんが、人は相手が代わると思わず構えてしまうので気を遣う部分が増えてしまいます。その分、自分の不安は減らずに増えてしまいます。この人手不足と言われ、一部だとは思いますが、転職することは今を生きることのような風潮の中、人材の顔ぶれを保ち、雰囲気を維持することは至難の業かも知れません。人間は初対面より、複数回会う方が社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達(コミュニケーション)はでき易くなります。世の中には変えてよいもの、変えてはいけないものがあると言われます。町医者は変えてはいけないものの一つかも知れません。
私たち自身の中にも変えてよいもの、変えてはいけないものがあります。変えて良いのは過去ばかり振り返り考え込んでいる自分、変えてはいけないのは今の自分を見つめることとこれからやってくる未来に期待し希望を持つことに心掛ける自分ではないでしょうか。自分で決めることですが、何ごとにも前向きに生きたいものです。
「なあ、かあちゃん。ワシもええこと言うようになったのう」
「アンタなあ、ホンマにすごい人は、その言葉をもう一回自分に当てはめてから、
使わはるんやに。そんなことより私の帰国祝い、やりましょ」
「アッ、せやったな。祝杯が何より先やな。待っててや」
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